総統・軟骨ブルジョアを中心に、イタバシ区を我が物にせんと企む悪の秘密結社――。 ドクドクロンのはじめの設定はこうでした。イタバシ区のヒーローに対しての悪者という位置づけで創り出されたこの組織は、やがて自分達の活動名義となりました。 なぜ、ヒーローではなく悪者なのか。この問いに対して包括的に表す言葉で答えるとするなら、最も近い言葉は「なんとなく」ということになります。もっともらしい理由付けをしなくてはならないならば、いくらでも可能です。 「今の世の中には自分が正義である、という企業や人たちしか見えず、行っているそばから同業他社と客の取り合いを行うばかりである。」とか 「悪の立場に立って、正面から表現する事が貴重であるから。」とか 「私たちの育った世代に共通する“悪の組織像”はどこか憎めないものであり、とても魅力的だから。」といったものです。 今挙げたような理由も間違ってはいません。しかし、間違ってはいませんが、ドンピシャの正解ではないように思います。そういった経緯で、やはり帰結するところは「なんとなく」なのです。 このように個々の作品や、ネーミングに対して「なんで?」と質問を受ける事も少なくありません。その度に私達は「なんとなくです。」「意味はないです。」と答えてきました。そんな答えを投げ返された方としては「じゃあ、作る意味ないんじゃないの?」「根拠が弱いね。」となるわけですが、そう言われたからといってくだらない発想が止まるわけではありません。私たちがくだらないものを作るという事に、是が非でもやりたい、譲れない部分があるのでしょうか。 「なんでだろう。」 と自分たちのことを分析してみた結果、導き出された答えは「ナンセンス」でした。 ナンセンスを辞書の定義で言うとこうなります。 〔nonsense=無意味〕(自分たちにとって)まともに取り上げるだけの価値がない様子。「−な〔=a ばかげた。b なっていない〕話/−な〔=くだらない〕事柄」 …なんだか冒頭の部分からドクドクロンの考えと矛盾する事になっていますが、(自分たちにとって)という表現を(この社会にとって)という表現に替えると、マスのメディアの支配するこの社会におけるドクドクロンの作っているモノ達に当てはまるような気がします。限られた人たちの心にしか響かないものばかりでしょう。 ところで、ナンセンスな発想はこの社会に必要とされないのでしょうか?あなたは最近何で笑いましたか?それはいつの事ですか?昨日ですか?1週間前?1ヶ月前?1年前!? ナンセンスは笑いに結びつき、笑いは人を結び付けます。笑いと楽しみにおける一つの切り口が「ナンセンス」です。多少の教養や、基本的な事柄を共有していなくてはならない、特殊な切り口ですが、その分とても深い楽しみがあります。ドクドクロンはナンセンスな事物が好きな人間と、ナンセンスを理解する力を持っている人たちが集まっているのではないか、と私は分析しました。そしてそんな人や物が大好きです。 ナンセンスは小さい動きのままでいてもあまり意義がありません。ナンセンスな事柄を【本気で】【全力を傾けて】【実現させる】事にその本質があります。想像のままで終わらしているのはただの与太話。与太話を実現させてこそ、本当にナンセンスなんじゃないでしょうか。ホラ、このドクドクロンの活動自体、ナンセンスでしょ? でも、「何で“ナンセンス”にこだわるのさ?」と聞かれても困りますよ。 …食べ物が悪かったのでしょうか? 2003年2月 代表 |
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